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楼主: 都是一个样
收起左侧

[大学专门学校] 关于学内试验及面试的讨论(正经讨论从第六页开始^_^)

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 楼主| 发表于 2005-1-6 17:32:00 | 显示全部楼层
顺便推荐一个小论文的网站,http://www.higuchi-book.com/


是东进预备校人气讲师樋口裕一的主页。

[此贴子已经被作者于2006-4-23 18:38:48编辑过]

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发表于 2005-1-6 19:09:00 | 显示全部楼层
以下是引用都是一个样在2005-1-6 16:00:07的发言:
可看这个贴越来越像是两个人的聊天纪录,可能是由于标题给的过于狭窄或是有哗众取宠的嫌疑吧,在此表示歉意。
那么就请您受累把标题编辑一下吧= =
[此贴子已经被作者于2005-1-6 18:09:56编辑过]

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 楼主| 发表于 2005-1-7 14:03:00 | 显示全部楼层
小論文のための日頃のトレーニングhttp://www.ronbunonline.com/webseminor/403.htm
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 楼主| 发表于 2005-1-7 19:05:00 | 显示全部楼层
三个京大经济3年编入合格的学习经验谈,供大家参考。

篠原台さん 2003年度 京大経済学部合格


試験勉強を始めたのは9月半ばからです。

ドイツ語はひょっとしたら編入受けるかも&英語以外がやりたいてことでこの前年11月から会話の学校に行ってました。上達せんかったけど。大学は中国語やったんで文法の知識は結局生半可極まりなかったです。以下時系列に沿って。常体になるのは気にせずに。

9月

武隈愼一氏「ミクロ経済学」を1日40ページくらい。当時なにが大事かよくわからんかったので全部やる。
10日くらいでさらっとわからんとこはほっといて流す。

9月終わり頃

中谷巌氏「マクロ経済学入門」をミクロと同様のペースでやる(がだんだん飽き始める)この人の考えは自分に合わなかった。
10月半ばに終了。

10月半ば

友達に日経新聞を4か月分もらったので「経済教室」を中心に読む。
経済セミナーバックナンバーを1年分そろえて一気に読む。
このあたりからドイツ語が読めないんじゃないかと気になる。

11月前半

専門は継続。ミクロマクロの2度目、3度目開始。ドイツ語過去問はじめる。が話にならず。
急いで対訳(ページの左がドイツ語、右が日本語)付きアンネの日記を買って文構造を頭に入れる。3回読みました。

11月後半
専門の過去問やる。時間の都合上、全部はできなかった。


kioさん 2004年度京大経済学部合格

勉強:小論文
 雑誌経済セミナー2003年5月号で芸術的とまで書かれて薦められてた「マンキュー経済学†ミクロ編」「†マクロ編」を中心にやっ て、「経済学入門塾†論文マスター編」を拾い読みしました(経済小論文の書き方がわかりました)。あと時事経済ではこのHPに あるものをチョコチョコと。スティグリッツは図書館に初版しかなく二版がなかったためやらず、公務員テキストは高かったため買 わずです。試験直前になって伊藤元重やマンキューマクロ入門、応用やればよかったと気付きましたが遅かったです。マンキューは 内容は足りない気がしますが楽しく読めるし、ISーLMにこだわってないのでお勧めです。
 
 結局勉強は四月ごろからこつこつやり 始めてました。  今更やればよかったと思う本は上記の本に加えて「伊藤元重の日本経済がわかるキーワード」「TACVテキスト」「入門経済学ゼミナール」(西村和雄著)などです。去年2002年度合格の幹介さんや篠原台さんが掲示板で言われてたように、いかに現実の経済に経済学のモデルを当てはめられるかを問われてたかんじでした。先生方は経済学の教科書は知っているでしょうから自分がそれを読んできたことを示せればいいのかな、とも思いました。
イチローさん 2004年度京都大学経済学部合格

 僕が言いたいのは一点に尽きます。過去問を徹底的に分析することです。過去問中心に進めないとかなり効率が悪く、焦点がぼける可能性が高いです。
 
 神大ならH9年度~H16年度、阪大H7年度~H16年度、京大H3年度~H16年度、最低でもこれくらいは集めたいところ。一見すると何の傾向もないように見える(特に京大)ものも、じっくり見れば見るほどいろんなことが見えてきます。例えば、神大(経済)経済学は、過去に出た問題は出る確率がきわめて低い、時事問題はまず出ないなど。

 さらにネタ本まで見つけることができればかなり対策が立てやすい。例えば、神大(経済)H11年度数学問題2は、明解演習という問題集からそっくりそのまま出題。H14年度問題3、H15年度問題3はどちらも基本演習線形代数という本からそのまま出題されています。などなど。

 これから編入受ける人はしっかり過去問見て下さい。そうすればやるべきことは見えてきます。頑張ってください。

[此贴子已经被作者于2005-1-7 18:06:48编辑过]

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发表于 2005-1-7 19:06:00 | 显示全部楼层
楼上的帮忙找个レポ-ト的网站给我吧,关于艺术,环境,还有文化的.我也是被人逮到受人之托的.
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 楼主| 发表于 2005-1-8 12:46:00 | 显示全部楼层
今天发一篇典型的应试小论文。题目是“教育について”,字数800。
   現代日本の教育は、現在、混迷の極みにある。いじめや学級崩壊、大学生の学力低下など、教育をめぐる問題はすべて一筋縄ではいかない問題だ。そのような現状に対し、文部科学省は、初等科教育において学習内容の精選、完全週休二日制などの導入で、「ゆとりの教育」を進める方針である。
 はたして、この方針は、本当に教育にゆとりをもたらすであろうか。
 たしかに、学習内容を精選すれば、授業に余裕が生まれるであろう。また、休日が増えれば児童生徒たちの時間的な余裕も増える。しかし、それだけでは本質的なゆとりを教育にもたらすことはできないのではなかろうか。
 なぜなら、現在の教育におけるの画一主義がなくならない限り、本質的な改善にはつながらないからである。
 私は中学時代、軽い不登校になったことがある。学校までは行けるのだが、教室に入ることができない。結局、毎日保健室に通うことになり、そこで保健の先生にいろいろと悩みを聞いてもらうことで、ふたたび教室に入れるようになった。
 いま考えると、中学生の私は、教室が息苦しかったのであろう。そこでは全員同じ行動を要求され、全員が同じ内容の授業を、同じレベルで理解することを要求された。中学時代の私は自分で自分の行動が選べないこと反抗していたのかもしれない。
 本質的なゆとりとは結局、行動の自由度のことである。中学時代の私は、保健室という避難所があるということを知っただけで、心にゆとりができ、教室に戻ることができた。学習も同じである。学習内容の精選もたしかに重要だろうが、各自がもっと自由に学習する科目と時間数を選べるようになれば、いまと同じ学習内容でも、もっとゆとりを感じて生徒たちは学べるのではなかろうか。そしてそれが、本当の意味でのゆとりを教育にもたらすことになるのである。
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 楼主| 发表于 2005-1-8 23:32:00 | 显示全部楼层
建议准备小论文的同学们多读各大报纸的社说。
以上。
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 楼主| 发表于 2005-1-10 01:13:00 | 显示全部楼层
わかりやすい文章を書くための十か条



[此贴子已经被作者于2005-1-10 0:15:22编辑过]

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发表于 2005-1-10 01:21:00 | 显示全部楼层
「と思う」「と感じる」「と考える」はなるべく使わない

哈?那么应该用什么?_?


哦……后面有详细的说明

嗯,多谢。


(啊啊,不能自删自贴T_T露怯了)

[此贴子已经被作者于2005-1-10 0:34:35编辑过]

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 楼主| 发表于 2005-1-10 01:21:00 | 显示全部楼层
第一条 一文はできるだけ短く、一文一義で。 私が思ったことは、確かに今の学校は細かい服装の規則をやかましく言って守らせようとしたり、起立、礼などの形式的なことを徹底して守らせるなど直接勉強に関係ないことまで我々を管理しようとしていると思うし、実際に私も同じような経験を受けたことがあるのでよく分かる。
 一文に複数の事柄を入れようとすると、主語と述語のねじれや、呼応の副詞(けっして~ない)や係り受け(なぜなら~だからだ)の混乱などが起こり、大変読みづらくなります。
 一文一義とは、「一つの文で一つのことをいう」ことです。つまり、一つの文で一つのことだけをいい、そうした短い文の積み重ねで文章を組み立てていくことが、わかりやすい文章への第一歩なのです。
 確かに今の学校は、細かい服装の規則をやかましく言って守らせようとしている。また、起立、礼などの形式的なことを徹底して守らせるなど、直接勉強に関係ないことまで我々を管理しようとしている。
 実際に私も同じような経験を受けたことがあるのでよく分かる。
 
第二条 接続助詞「が」はなるべく使わない。 このようなことは誰しもが思うことであるが、私も同じような経験をしたことがあるが、そのときはやはりいい気持ちはしなかったが、それは私の友人も同じであった。だが、これはやはり学生時代誰もが経験しているはずだ。
 一文が長くなる現場には、かならずといっていいほど、この接続助詞の「が」が現れます。接続助詞の「が」は万能接着剤のように、様々な文をつなげてしまうのです。
 ですから、なるべく接続助詞の「が」は使わないようにしましょう。その代わり、文と文ををつなぐ言葉を適切に入れましょう(第四条を参照) このようなことは誰しもが思うことである。
 私も同じような経験をしたことがある。そのときはやはりいい気持ちはしなかった。それは私の友人も同じであった。
 これはやはり、学生時代誰もが経験しているはずだ。
 
第三条 主語をなるべくあらわに書きこむ
 個人の人権を尊重する現代に、服装や形式のことばかりを厳しく規制することは許されるのでしょうか。こんなことがあってもよいのでしょうか。
 たしかに、子どものころはしつけの一環として行うこともあるでしょう。しかし、ただ「ためにする」のであれば、むしろやらない方がよいのではないでしょうか。 主語がない文は、書き手の主体がない文です。このような主語なし文は、自分と他人の区別があいまいなときに生まれます。
 例えば、上記例文の「許されるでしょうか」という一文では、「誰が誰を許すのか」「筆者はなぜ、許さないのか」「我々ははなぜ、許さない、と思うべきなのか」といった事柄はわかりません。「小論文」を書くときはなるべく主語をあらわに書くようにしましょう。
 個人の人権を尊重する現代に、学校が服装や形式のことばかりを厳しく規制することは適切な対応でしょうか。
 たしかに、子どものころは親がしつけの一環として行うこともあるでしょう。しかし、ただ「ためにする」のであれば、むしろやらない方がよいのです。
 
第四条 文と文をつなげる語句をなるべく使う
 生徒一人一人の気持ちを尊重することは大切である。学校ではそこまで保障する必要があるのだろうか。
 学校は教育の場である。勉強を教えるのは当然だ。一定の社会のルールを教える必要がある。気持ちが尊重されないとしても、やむを得ない。
 第二条で、なるべく接続助詞の「が」はつかうべきではない、と説明しました。その代わり、適切に使いこなすべきなのが、接続詞をはじめとする、文と文をつなげる語句なのです。
 これらの語句を使用することによって、文と文の関係が明確になり、読み手に自分の主張が伝わりやすくなります。また、そうすることで、自分自身のいいたいことが、論理的に飛躍していないか、自分で確認することも出来ます。
 生徒一人一人の気持ちを尊重することは大切である。しかし、学校ではそこまで保障する必要があるのだろうか。
 たしかに、学校は教育の場である。勉強を教えるのは当然だ。そして、一定の社会のルールを教える必要がある。だから、気持ちが尊重されないとしても、やむを得ない。
 
第五条 文末はできるだけ簡潔に 筆者の言うことも、わからなくもない。たしかにその通りといえるだろう。
 私も同じ教育の現場に立つ者として、学校の「校則」と「個性」の問題には常々考えさせられないわけにはいかない。
 文末はなるべく端的にいい切るようにしましょう。例えば次のようにです。
…この例は特殊であるとはいえない。
   ↓
…この例は特殊ではない。
   ↓
…この例は普通のことである。 このように、意識的に文末を簡潔にし、いいたいことを明確に表しましょう。ことに「論文型小論文」を書くときには、この原則は非常に重要になります。
 筆者の言うことも、理解できる。たしかにその通りだ。
 私も同じ教育の現場に立つ者として、学校の「校則」と「個性」の問題には常々考えさせられている。
 
第六条 同じ概念は同じ語で表し続ける 生徒と先生の間柄は、ある面においては対等である。それは、「自由に意見を言いあえること」ということである。
 教師は、子どもの言うことに耳を傾けなくてはならない。たとえ子どもであろうとも、意見はその生徒の個性の表れとも言えるからである。
 概念(がいねん)というのは、あるものについてみんなが共通に持っている考えの集合体です。例えば、「犬」の概念は、「四本足で毛むくじゃらで、ワンワンと吠え、人なつっこい動物」といったものです。
 そして、言葉が違えば、それが指し示す概念も変わるのが原則です。逆に、同じ概念は同じ言葉で表されるのが原則です。その原則に従えば、上記例文における「生徒」「子ども」、「教師」「先生」は、どれか一つの言葉に統一すべきです。
 生徒と教師の間柄は、ある面においては対等である。それは、「自由に意見を言いあえること」ということである。
 教師は、生徒の言うことに耳を傾けなくてはならない。たとえ生徒であろうとも、意見はその生徒の個性の表れとも言えるからである。
 
第七条 「と思う」「と感じる」「と考える」はなるべく使わない 私はこの人のいうとおりだと思います。
 私の高校生活も、校則に縛られたものだったと思います。そのときは、早くこんなところを卒業したいとばかり考えていました。そのことは、今でも間違っていなかったと思っています。
 「小論文」、特に「論文型小論文」では、思った「内容」を書くべきで、“思った”という「事実」は書く必要はありません。“感じる”と“考える”も同様です。
 ただし、「作文型小論文」ではこの限りではありません。文末の単調さを避けるためにも、適度に使用してください。でも使いすぎは逆に幼い印象を与えるので注意しましょう。
 筆者の言うとおりです。
 私の高校生活も、校則に縛られたものでした。そのときは、早くこんなところを卒業したいとばかり考えていました。そのことは、今でも変わっていません。

第八条 一段落一義で適切に段落分けする 筆者の言うことは納得がいかない。私の中学校の生活を思い出すと、服装が乱れていた人たちは、やはりいわゆる「不良」だった。高校でもそうだった。やはり、服装にはその人の心のようすが表れると思う。
 第一条で述べましたが、文は「一文一義」が原則です。それと同じく、段落は「一段落一義」つまり、一つの段落で一つのことをいうのが原則です。特に「論文型小論文」の場合は、一段落がどんなに短くなっても、この原則を守るようにします。
 しかし、この原則も「作文型小論文」のときは少しゆるめてもらってもかまいません。また、論文型小論文の時も、200字程度のごく短い文章の時は、段落をつける余裕がないので、この原則の適応外になります。
 筆者の言うことは納得がいかない。
 私の中学校の生活を思い出すと、服装が乱れていた人たちは、やはりいわゆる「不良」だった。高校でもそうだった。
 やはり、服装にはその人の心のようすが表れる。
 
第九条 他者の文章は正確に引用する
 筆者は、服装の乱れについていちいち注意する人は結局、形式が守られることだけを求めていると書いている。そして、「日の丸」や「君が代」の問題も、結局は服装についての注意と同じで無意味であると書いている。
 上記の例文は、投書を正確に引用していないため、ピントのずれた、投書の内容から離れた文章になっています。このような事態を避けるためにも、他者の文章は正確に引用しましょう。
 引用を行うことで、(1)他者の意見と自分の意見をきちんと分けてとらえられ、(2)資料文から目が離れてしまうのを防ぐ、ことができます。
 ですから設問に、「要約せよ」と書かれている場合をのぞき、資料文は正確に引用しましょう。
 筆者は、「だらしなくてもいいじゃない。気持ちの問題だと思う。」と述べている。また、「『日の丸』『君が代』法制化も、(中略)法制化しても形式的な要件が整うだけで、無意味なことと思う。」と述べている。

第十条 他者の文章に対し、文章の内容を越えてその人の人格に言及してはならない この人は、「起立、礼」という挨拶を無意味であるように書いているが、きっと毎時間の授業のはじめとおわりには、必ず「起立、礼」をやらせているにちがいない。結局は口先だけできれい事を言っているだけで、「生徒の気持ちを尊重」などといいながら、注意するのがいやな臆病者なのだ。
 「文は人なり」といいます。確かに文章を読むとその人の人柄や、性格などを感じることが出来ます。しかし、文は文であって、その人本人ではありません。人間は奥深いものです。一片の文章でその人を断定してはいけません。
 それにその人の性格までを問題にしてしまっては、物事を正確に論じることが出来なくなってしまいます。他者の意見を論ずるときは、文の内容に限定して論じましょう。
 筆者は、形式的なことの例として、「起立、礼」を挙げている。しかし、果たして筆者は、毎回気持ちのこもった「起立、礼」をさせているのだろうか。または、形式だけならばいらないと、廃止しているのだろうか。
 形式だけのことを問題視するのであれば、まず自らの行動が伴わなくてはならない。筆者はまず、自らの行動を書いて報告すべきだ。
 
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