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楼主: 一堆煤㊣
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[研究生大学院] 研究生申请经验总结

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发表于 2008-12-12 06:57:01 | 显示全部楼层
诚恳的请求LZ前辈能把研究计划书发到我邮箱 [email protected]
顺便问一下楼主文中提到的研究生是指修士还是只是研究生,以后还需要考院士的 我是菜鸟,希望多多指教,万谢
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发表于 2008-12-12 13:32:58 | 显示全部楼层
lz是那里人啊?
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发表于 2008-12-30 15:53:45 | 显示全部楼层
看了lz的细心的文章让我燃起了斗志
记得有一位前辈说的话 既然选择了这条路就算是跪着走也要走下去
所以我也是决定走出国这条道
我也是觉得走研究生的话还是自己申请也好,学经济,经营之类的不适合我 因为数学啊什么的很差
日语过了一级也没觉得能力提高到哪去,该听不懂照样听不懂
希望有机会可以和lz多聊聊
希望lz能给我发一份你的研究计划书 谢谢 [email protected]
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发表于 2008-12-30 16:20:12 | 显示全部楼层
楼主的研究计划书 大家不会用搜索功能啊 真晕

近代日本における『西遊記』の変容―書籍から映像メディアへの模倣・改編・再創―

<研究の目的>
 本研究は、近代日本における『西遊記』の受容と変容の過程について段階を追って調査・分析するとともに、近代中国における『西遊記』との比較検討を進め、中国文化に対する日本人と中国人の認識の相違について考察することを目的とする。

<研究の背景>
 日本には、漢字や昔話といった中国文化を源泉とする文化が多く存在し、日本人の生活に溶け込んでいるが、その中国的な文化を直接的に中国文化と結びつけていることに疑問を感じていた。そこで卒業論文では、日本における中国文化の受容の現状を考えるひとつの手段として「日本における中国児童文学の受容」と題し、現在日本で手にすることができる中国児童文学を、作品の出自が明らかになっていないものも含めて分類・分析をした。
その結果、それら中国児童文学の中でも『西遊記』は、江戸時代から出版され続けている多くの翻訳本が存在するにとどまらず、近年では漫画やパロディ本が出版されたり、映画やテレビ番組へと展開したりしていることがわかった。つまり、『西遊記』は中国文学作品の中で、日本へ移入されたものとしては突出しており、日本において最も身近で有名な中国文学作品群のひとつであるといえる。
しかし、日本で現在目にすることができる『西遊記』は、中国文学や中国文化を表現するものとしては機能していないものが多いことも分かった。特に児童向け書籍については、千野氏が「ダイジェストをさらにダイジェストしてゆく[1]」と指摘するほど日本人によって極端に簡略化されている。また、そのように独自にアレンジされ続けている様相を「すでに日本文化の一つになってしまっているのでは[2]」と季頴氏は述べている。更に、映画やテレビなどの映像による『西遊記』が発信するイメージは多大な影響力を持ち、日本独自の『西遊記』のイメージ定着化に繋がっているということを卒業論文の中で指摘するに至った。
近年の日本で制作された映像による『西遊記』は、中国メディアから強い批判を浴びている。これは、日本における『西遊記』のイメージが中国側のイメージと大きくかけ離れていってしまっているため、つまり日本における中国文化に対する認識の相違が引き起こしている問題であると考えている。

<具体的内容及び方法>
1.日本における『西遊記』
日本において発表され続ける『西遊記』を「模倣→改編→再創」という出現段階に
分けて考えたい。
「模倣」とは、「まねる」ということである。しかし、「『丸ごと』の模倣というのは、かなり困難[3]」であり部分的模倣であっても多くの場合「模倣」とする。従って、文学作品においては完璧な翻訳本だけではなく、何がしかの底本を示して翻訳された本も「模倣」の書籍としたい。『西遊記』の場合、日本に入ってきたのは江戸時代であり、1758年に西田維則によって著された『通俗西遊記』が最初の訳本とされている。この本の底本はいくつか数えられ、絵入りになってしまっているが、中国文学作品を分かりやすく市井に広めようという目的を思えば「模倣」であるといえる。現代においても、様々な底本の翻訳本が出版されており、1976年には現存する最古の版本の『世徳堂本西遊記』を底本とする翻訳本が君島久子訳で福音館書店から出版されている。何を底本とするかという点や翻訳部分は異なるが、これら模倣された『西遊記』は江戸時代から現代に至るまでに様々な翻訳本として出版され続けている。これらの翻訳本がいつ、何を底本としているかを調査しその様相をみてみたい。
「改編」は、翻訳された作品をある目的のために改めて編集しなおすという段階のことである。『西遊記』は当初は大人が楽しむための文学作品であったが、次第に子供向けに再編纂されることになっていった。『西遊記』はこの過程で、子どもたちが興味を持てるトピックと興味を示さないであろうトピックとを大胆に取捨選択している。つまり、改編という特徴を最も顕著に表現されているのは児童向けの「『西遊記』であるといえる。この児童向けの書籍は数え切れないほど出版されているが、私の調査では、1927年の『日本児童文庫36西遊記』(アルス、翻訳者不明)が最古の児童向けの書籍であり、絵本としては1930年の『オトギカハリヱソンゴクウ』が最古であるとされている。両方の出版年を見るとおり、児童向けの書籍は昭和初期から出版し始めているということになる。以後の書籍は130件余りを検出することができたが、代表的な児童向け『西遊記』の中でどのような場面がピックアップされているかを見ることによって、改編される傾向と読者への影響を考えてみたい。
最後の段階である「再創」とは、「すでにあるものを寄せ集めて、コピーし、あらたに何かを付け加えて創造すること」また「遊び心も欠かせない[4]」と山田氏は定義している。この定義に則って『西遊記』を見てみると、再創段階にある作品の表現方法として映像表現という手段を挙げてみたい。元来書籍であったものを映像表現するためにその技術を寄せ集め、その作品に音と動きが付け加えられる。そして、映像化された作品は書籍に表現されていない部分を多く含むことになるため、それを創作する人間の遊び心も必ず付け加えられるはずである。こうしてみると、映像は最も「再創」段階の表現方法であると考えるが、中でもテレビ番組による大衆への影響は非常に大きい。テレビ放送による『西遊記』の番組は、1953年の「少年西遊記」が最初となっており、戦後から始って現在に至るまでに13番組を数えることができる。これらからいくつかの番組をピックアップし下記の観点から再創の過程をみてみたい。
・
話の流れ 本来の西遊記にない話が創作されているか
・
登場人物 三蔵法師の女性化 新たな登場人物
・
セリフ  孫悟空の言葉の変化 集団語の使われ方
以上の観点を挙げてみても、模倣、改編段階の『西遊記』からかけ離れたイメージの番組が放送されていると想像できる。その再創の様相は加速的に付加されているように感じられ、そのイメージがいわゆる日本文化として定着していっているのではないかと考える。

2.中国における『西遊記』
日本版『西遊記』と比較するため、中国ではどのように表現されているかを分析する必要がある。
中国で出版された書籍を日本で入手するとなると、日本国内の一般書店では200冊余りが検索できる。大方が一般古典小説としての書籍である。また、日本で閲読できる子ども向け書籍を国立こども図書館で検索してみると128冊を検索することができる。一般書籍より児童書の方が絵入りのため、中国での『西遊記』のイメージをつかみ易いと考えている。また、映像作品では現在3件の中国製DVDが発売され入手できる。「チャイニーズ・オデッセイ#西遊記」は1995年に香港で上映された映画で、2004年にはテレビで放映されDVDになっている。中国映画としては、「西遊記」というDVDが1本検索できる。DVDに記録し日本に輸入されているということは、中国国内でも人気があったからであると理解でき、これらの作品は利用可能と考えている。以上の中国国内で制作された児童書、映像作品を用いて、日本国内の『西遊記』と同様の観点からその特徴をとらえる。

<予想される成果・結論>
 上記の比較により、日本では既に再創された『西遊記』が国内で認知されているのに対し中国では再創までとはいかず改編段階の『西遊記』が観察されるに留まると予想している。
その違いは、両国それぞれが持つ『西遊記』の文化的歴史的背景の違いによるものであろう。本来三蔵法師は、天竺まで一人で旅ができた心身共に質実剛健な高僧であり、孫悟空はキンシコウという金色に近い茶褐色の毛を持つ猿がモデルで不思議な力があるという伝説を背景に持っている。沙悟浄も河に住む妖怪伝説がモデルであり、決して河童ではない。中国ではそういった登場人物が本来持っている文化的背景があって『西遊記』を読み継いでいる。一方日本では、江戸時代に単なる中国の小説として将来されただけで、登場人物の背景まで伝わることはなかったのである。登場人物は、改編可能な、いわゆるキャラクターとして一人歩きを始めてしまい、現在の再創段階にまで至っているのだと考えている。そして、このような状況であることを両国が認識していないために、批判的な論評やそれに対する日本の無関心が生じている。
 しかし、現代の日本では、再創された『西遊記』ばかりが市井に広まっているわけではない点も指摘したい。より完全で模倣に近い翻訳本が出版されているし、様々な年齢で読めるように改編された本が次々に出版されている。その上で『西遊記』の再創作品が、新たな発想で次々に作りあげられているのだ。前段階の書籍が消えていくというのはなく、それぞれの段階の書籍が互いに影響しあい一体となって日本の『西遊記』を形成しているといえる。このような状況はこれからも変わらないであろうし、その様相はますます中国の『西遊記』とはかけ離れていってしまうだろう。日本のこの状況をもはや、中国は理解しがたいものになっているのである。つまり、日本で再創された『西遊記』はもはや日本独自の文化として歩みを進めているのだといえる。
 更にこのような状況は、西遊記に限ったことではないのではないだろうか。日本国内で中国文化の輸入品であると一般に思われているものは、既に中国文化本体からは程遠い体系になっている。しかし、中国から日本に輸入されたものが既に日本化しているということを日本人も中国人も認識していない。このような状況を把握されることは難しいであろうが、やはりここにも日本と中国の不協和音の原因があるのではないかと考えている。





[1]千野明日香「西遊記のダイジェスト版について」(『図説 子どもの本 翻訳の歩みの辞典』、柏書房)82ページ。

[2]季頴「日本で出版された西遊記絵本に関する一考察」(『絵本学会紀要』2002 №4、絵本学会『絵本学』編集委員会)13ページ。

[3]横山滋『模倣の社会学』(丸善ライブラリー、1991年)42ページ。

[4]山田奨治『オリジナリティとは何か 日本文化の模倣と創造』(角川書店、2002年)14ページ。


参考文献

磯部彰  『『西遊記』受容史の研究』(多賀出版、1995年)

中野美代子『孫悟空はサルかな』(日本文芸社、1992年)

田場智子 「日本における西遊記の翻訳―児童書を中心として(西遊記特集)」(『中国文化論叢』11号、帝塚山学院大学中国文化研究会編、2002年)83ページ

長山靖生 「『西遊記』とサブカルチャー」(『ユリイカ』9月号、1998年)142ページ

水尾綾子 「テレビドラマ・アニメ・漫画による「西遊記」の受容と変化―三蔵法師と沙悟浄を中心として」(『玉藻』38号、フェリス女学院大学国文学会、2002年)97ページ
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发表于 2008-12-30 16:20:55 | 显示全部楼层
注 以上为 一堆煤的研究计划书
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发表于 2008-12-30 17:21:15 | 显示全部楼层
煤哥的东西。。。。太强大了。。。。:)
我也来顶一下。。。支持煤哥!!!
为我们指出一条明路。。。让我接下去有方向了。。。
我决定自己申请研究生。。也希望继续得到煤哥的指导!!
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发表于 2008-12-30 17:34:41 | 显示全部楼层
嘻嘻 要告诉他他这么受欢迎
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发表于 2008-12-30 18:03:52 | 显示全部楼层
怀念啊~我申请的时候还参考了一堆煤前辈的研究计划书呢~再次感谢!
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发表于 2008-12-31 19:02:47 | 显示全部楼层
文采挺好的,说的也明白,感谢LZ的付出
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发表于 2008-12-31 23:38:24 | 显示全部楼层
真是 感谢楼主 ~我正犹豫自己申请还是找中介呢  看了之后决定自己试试 不然怎么知道不能成功呢 哈哈~
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