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发表于 2008-12-13 14:39:28
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既知、未知の区別はあくまで話者の感覚であって、客観的事実ではありません。
「わたしが殺しました」「わたしは殺していません」の区別は、話者の感覚をもとにしなければ、説明できないでしょう。
わたしは、過去、「変なおじさん」や「藤野先生」あるいは「城ヶ島の雨」を例に、この点をのべたつもりです。
そもそも話者の感覚できまる「既知、未知」に、普遍的事実を結び付けようとすることに無理がある。
「あなたは bubu ですか?」の返答は「はい、私がbubuです」だけではありません。
「わたしは bubu です」「わたし bubu です」なら、どう事実と結び付けますか?
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「は、が」の区別は、日本人にとって難しいものではありません。(「が」の誤用の多くは、たとえば、「龍がごとく」のような古語文法にかかわるものです)
敬語のように特別な社会的訓練を必要とするものと違って、これはかなり早い時期に身につく。
ですから、
「(みなさんがよくしっている)象は(御存知ないかもしれませんが実は)鼻が長い」
のような表現は普通だし、確か、この文型は能力試験でも三級から四級に格下げされたはずです。
感覚語としてある「は、が」を、論理語として考えることこそ、班门弄斧,误人子弟だ。
最後に、
大きなフォントをつかって、内容のないことをかくまえにしっかり勉強しなさい。
まがりなりにも、研究者を自負する人間ならば、最低限相手の書いたものをすべて読んでから批判するべきだ。
まったく、こんな程度の低い学生をかかえた研究室がどんなものか、容易に想像がつく。
「売り家と唐様に書く三代目」 |
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