和泉平野に霙が降る、寒い二月の晩、突然、それまで一歩も家を出たことのない老人が杖をつき、よぼよぼした足どりで、坂をおり交番にあらわれた。
「鴨野のばあさんが死にました」と老人はいった。
------そのしわだらけの顔は、霙にぬれたためか、それとも泣いたためか、しわにしずくがたまるほど、びしょびしょにぬれていた。古い綿入れの袖なし------ここらあたりで、じんべとよぶもの------の肩には、霙の塊りが、びっしりのって、とけかかっていた。
「わしは------わしは、実をいうと、身よりのない、旅のものです。あのばあさんの家で道をきいた時、ぜひあがれとすすめられて、そのまま居つきました。------それからずっと、世話になっておりました。------どうやら、あのばあさんが、長い間待っていた人と、まちがえられたらしいです。でも、わしは……そのおかげで、ずっと世話してもらえました。その鴨野のばあさんが、さきほど、息をひきとったのです。わしの……わしの手をじっとにぎりしめて……」
老人はもう見栄もなくすすり泣いていた。
「まあ、おちついてください」若い警官は、ヴィデオフォンの呼出しボタンを押しながらいった。「そうですか------ばあさんが死にましたか……」
医者を呼び出して、用件をつたえると、警官は、奥にレインコートをとりにはいった。
「今すぐ行きます。------さむかったでしょう。ああ、あったまっとってください」と警官は奥でコートを着ながら、表の部屋の老人に大声で話しかけた。「そうですか、死なはりましたか。それでも、たった一人で死なんでもよかった。あのばあさん、昔、ここの中学の先生で、ぼくのおふくろも、女房のおやじも、みんなあの先生に教えてもろうたんやそうです。そやから、もうええ年で……」
しゃべりながら、奥から出てきた警官は、老人が、首を横にたれた、妙な恰好で坐っているのを見て、ちょっと眉をひそめた。------肩に手をかけると、その枯木のように軽い上体はグラリとたおれかけた。老人は、顔中を涙でぬらしたまま、こと切れていた。
さっきまで降っていた霙が、牡丹雪にかわり、音もなくつもりはじめていた。
翌日、このあたりではめずらしい銀世界の中で、早速荼毘に附された二人は、老婆の手文庫から発見された書き置きにしたがって、鴨野家の墓地の、二基ならんでたてられた、小さな墓石の下の埋められた。------会葬者は、意外に大勢あつまった。そして火葬も、老婆の遺言によって、古式に屋外でやり、雪晴れの青空にたちのぼる白煙は、モノレールの軌道をこえ、金剛=生駒陸橋をこえ、高く遠く、吉野の山々の方へとたなびいていった。その煙のかすむ先から、遠い蒼穹の彼方へとびさる二人の雲のように、大阪第二空港発のサンフランシスコ行き大圏ジェットのひく、二条の白い飛行機雲が、はるか南東のそらへのびて行った。
老婆の墓とならんでたてられた墓石には、『野々村浩三』と彫ってあったが、死んだ老人の方は、身もとを確認する手がかりは何一つのこされていなかった。------よるべもないといっていたが、人々は誰一人、名も知らなければ、いつ、どこから来たのかもわからなかった。だから、本来は、最近でも時たまある行路病者なみのあつかいで、公共墓所ビルの共同棟にいれられるはずだが、------
まあええやないか------と、人々はいった。------昔の恋人の身がわりや、お佐世ばあさんかて、喜びよるやろ。
野々村浩三。
野々村佐世子(旧姓鴨野)。
ときざまれた小さな墓石に、西暦二〇一八年の日附けが近所の人々の手によってきざまれた。------二つの小さな墓石は、丁度生前のように、ならんで背をまるめ、葛城山の方をじっと見つめているようだった。------しかし、この古い墓所も、もうじき、鋼管鉄道ができるために、移転されて、二つの骨壷も墓地タウンの納骨ビルに移されるはずだった。
お佐世ばあさんの書き置きによって、ばあさんの義父のもっていた蔵書文献や、ばあさん自身が書きのこしていた、沢山の『おぼえ書き類』は、破棄されずに、K大歴史研究所の書庫に寄贈された。------家は、奈良の遠縁のものがひきとって、古い木材を分解してはこび、茶室をつくった。地所も処分された。------文献類の方は、K大歴研の、未整理書庫の中に長らくほこりだらけになって、眠っていた。書庫をこわして、電子脳ライブラリーを建て増しする時、アルバイト学生が、いいかげんな読み取り方をして、記憶装置に全文献を収録し、古文書自身は、本をのぞいて、ほとんど破棄された。
こうして、この事件は、関係者の最後の一人が死に、第二の終末に達した。------だが、時は、できごとと関係なく、さらにのびて行き、二十一世紀はやがて、二十二世紀につながり、さらにその先には、はてしない等質の時間がひろがっていた……。