「小松左京『日本沈没論』論――核時代の想像力」
已有 371 次阅读2020-9-20 16:26
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神戸大学、いやなにより、著者が中国留学生だということに、大変おどろいた。
https://researchmap.jp/jyo_yoku
ちょうど、この小春で mamihong にであったときとおなじ衝撃である。
星新一は、どちらかといえば、はやくから文壇でみとめられていた。
その意味では知名度がたかく、台湾あたりではすでに訳書も出版されていたときく。
しかし小松左京はベストセラーがでるまであまり翻訳されてこなかったようにおもう。
日本での理解さえいまいちで、
例えば、最近 NHK が「復活の日」という作品を放映した。
大方は「コロナ」を意識したものと、とらえられている。
しかし、ご本人のことばでいうと、
これまでの地上種微生物原因によるパンデミイにおいて、たとえ防疫措置が全然とられなくても、流行地域の個体数の三分の一が死滅すれば、ほぼ確実に流行が終結にむかう、という事実があるため、この点を切りぬけるために、病原微生物を非地上的なものに設定したのです。――こういうことこそ、まさに「フィクション」の特権ではないでしょうか?
で、むしろ「非コロナ」のウィルスが設定されているのである。
「日本沈没」も、またいろいろに「解釈」されたのだが、
自分で自分の首をしめる形によってか、あるいは他者にほろぼされることによってか、あるいは内部から腐っていくことによってか、いずれにせよ、人類はほろびることになるでしょうが、生物の中の、隆盛をきわめたある種が滅亡することは、長い地球の生物史上、一向にめずらしくない
という作者にとって「終末論」とは何の「終末」だろうか。
90ページにもわたる論文で、こまかな検証はまだできていない。
けれども、ひとつ、「これは?」という記述があったので紹介する。
日本語では「牽強付会」という。
「わだつみ」の出航が焼津から清水にかわったのは「第五福竜丸」が原因ではない。
改定前の記述では、列車内で「静岡は茶どころだから」といって「真綿に茶葉をつつんだもの」をすすめる老婦人が登場するが、そうした習慣はない、という苦情がでたこと。
「首都消失」の鶏弁当のように、こうした過剰なサービス精神は小松作品によくみられる。
当時の清水と焼津では港湾設備におおきな差があったこと。
ya-izu と sim-izu、どちらも静岡から東西2駅であることから小松左京自身の勘ちがい、などがあげられる。
なお、「第五福竜丸」は、
● 無線士の死亡原因
● 船体の処分
● 地元静岡新聞の論調
など、それ自身検証しなければならないこともかなりあって、「沈没」の題材にはなりにくい。