留学試験の30年度版をあげた。
前回はトラブルで,音声ファイルをあげることができず,心配していたので一安心。
これで,もうすこし,ファイルの整理をすることができる。
はじめて留試の問題をあげたのは,十年前になる。
当時の小春は,アップロード制限が1Mで,どんなに無理をしても,音声ファイルはおさまらない。
たまたま,mamihong がよびかけてくれたので,そちらで活動していた。
mamihong.
今,どうしているのやら。
わたしには,彼と趣味を共有するところがあって,話ははずんだが,一点だけ,理解しがたいところがあった。
小春に対する憎悪とでもいうべき感情である。
彼は小春の商業化を非難し,特に壇主については商人然として利益を独占していると,数字をわたしにみせ,小春との「完全決別」をせまってきた。
わたしは,次のように反論した。
第一に,デモを組織したこと。
商人は,特に外国において,そんな危険をおかすことは絶対にない。
第二。
小春の商業化をいいだしたのは,tatata氏であって,その時壇主は時期尚早と反対している。
さらにいえば,東京博士の論壇追放騒ぎがあったときも,唯一反対したのは壇主であった。
おそらく,壇主にとって,もっとも不幸なことは,優秀なマネージャーがいなかった,ということである。
毛沢東の周恩来,とまでいかなくとも,せめて小田実の吉川勇一くらいはほしかった。
これは,以前,infoqueen氏が発表した「仲間」という論考にもでてくる。
日中社会構造のおおきな差だと,わたしは,今でもかんがえている。
そうだ。
気がつけば,彼女もいない。
ヤバイヨ君も平安さんも,いつの間にか,きえた。
「キャラが立つ」個人はかすれていく時代なのだろうか。
小剛が登場した日のことを,今でもおぼえている。
何がたのしいのか,きゃっきゃとはしゃぎまわって,みんなからいじられていた。
それが十年たつと,どうだ。
かつてある作家が郭沫若を「インテリが力の時代をいかにいきのびるか」の好例としたことがある。
小春も「力の時代」にある,ということなのだろう。